2014年4月18日金曜日

4.16(水)愛のかたち


宗教って、おそろしいです。

「神さまのためだから」って言えば、なんでもゆるされてしまうから。

心の純粋な人をだましても、たとえ大勢の人を虐殺しても、
「これは神さまのためだ!」って言い始めたら手がつけられません。その人はたとえ何をしても、自分は正しいんだと思い込んでしまっているから。

宗教戦争の歴史、カルト団体がおこす事件。
そういうものを見て、「神さまのため」だったらなんでもゆるされるのか?と、疑問に思うんです。

ファリサイ人は、「神さまのため」と言うなら、両親の老後の世話をしなくてもいい、と教えていました(マタ15:1-6)。お父さんお母さんよりも神さまの方がよっぽど大事なんだから、神さまのためにお金をささげた方がいいだろ、ってことです。
(実際には、彼らは自分たちが死ぬまでそのお金を好き勝手に使っていました)

そう言われた両親の心に映る、神さまの姿はどうでしょう。
「自分のためだったらわたしたちがどうなろうとかまわないのかな」
単なる利己的な独裁者でしかありません。

しかし、イエス様は彼らにはっきりいいます。それは神さまの姿じゃないでしょう!
「父母を敬いなさい」という、神さまの掟(十戒)の一つを、彼らは自分の言い伝えによって犯していました(出20:12)。
「神さまのため」といいながら、彼らは神さまが求めいることと真反対のことをしていたのです。

十字架で亡くなられる前の夜、イエス様は弟子たちに新しい掟を与えられました。
「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」(ヨハ15:12

この新しい掟は、十戒の繰り返しにすぎませんでした(ロマ13:810)。神さまはどのようにわたしたちを愛してくださるのか。十戒は、神さまの「愛のかたち」を僕たちに伝えているのです。
わたしがあなたがたを愛したように(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、互いに愛し合いなさい」
僕たちは、イエス様が僕たちを愛してくださった方法で、互いに愛し合わなければいけないのです。

僕たちは、「神さまのため」っていえば何をしてもゆるされるんですか?

いいえ。
神さまを本当に愛する人は、
自分の信条のために命をささげるのではなくて、
人に命を与えるために、自分の命をささげるのです(1ヨハ3:16

神さまの「愛のかたち」に、あなたは従っていますか?

執筆:山地悟
2014/04/17

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