つかれた、むなしい、もう何もしたくない。
心の中がゴチャゴチャになったとき、あるいは空っぽに感じるとき。
あなたはどこに平安を求めますか?
テレビを見る、カラオケに行く、彼氏に電話する、マンガを読む、友達とお酒を飲む…
は〜すっきりした!
でもまた数時間後、あるいはたった数分後には、またもとの、あるいはそれ以上のもやもやと空しさが戻ってくることに気付くでしょうか。
「分かってるよ、神様に頼れって言いたいんだろ。でもいつでもだれしも聖書を読んで祈ってればなんとかなる、ってわけじゃないんだよ。」
と、ある人は言うかもしれません。
聖書を読め、祈れって、要求してくるのはやめてくれ。
井戸のそばで、サマリアの女に「水を飲ませてください」と要求されたイエス様は、こう言われました。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」(ヨハネ3:10)
あなたがわたしのことを本当に知っているなら、わたしが与えようとしている祝福の価値を本当に知っているなら、あなたの方からわたしのもとにくるはずだ。
あなたがイエス様より頼れる何かを持っているなら、それはあなたが本当には彼のことを知らないだけです。
「この水を飲むものはだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:13-14)
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