マルコ1:12
それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
ヨルダン川でバプテスマを受けたイエス様は、父なる神さまから受けた聖霊によって満たされていました。しかも、神さまご自身の声によって、人々の前で公に、神の子であるという証を受けていたのです。彼が、メシア−神さまによって選ばれ、油注がれた救い主−としての働きを始める準備は、完ぺきに整ったように見えました。しかし、聖霊がイエス様を何よりもまず始めに導いたところは、人里離れたさみしい「荒れ野」でした。イエス様は自分の思いに従って勝手に働きを始めるのではなく、神さまの霊が導かれるところに喜んで従っていったのです。
今日の質問:
神さまの言葉に従おうとしているのに、なぜか思うようにうまくいかないことはありますか?罪のないイエス様でさえ、働きを始める前に荒れ野に導かれたことは、わたしたちに何を伝えていますか?
今日の祈り:
神さま、あなたが導かれるところなら、どこへでも喜んで従っていく信仰を与えてください。たとえそこが「荒れ野」であったとしても、あなたの導きに信頼させてください。
もっと深く:
申命記8:2−6; ヨブ36:21; 1ペテロ2:21; 4:12,13; ヘブル12:5-10
執筆:山地悟
2014/04/08
2014/04/08
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