2014年4月5日土曜日

An hour a day on Jesus


大学の課題で、An hour a day on Jesus11時間、イエス様と) というプロジェクトがありました。一学期間、毎朝1時間、イエス様の一生について瞑想する時間を持つというものです。この世の何ものよりも朝に弱い私にとっては空前の試みでしたが、イエス様の導きを祈りつつ、9月頭にこのプロジェクトを開始したのでした…。

「主なる神は…朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし 弟子として聞き従うようにしてくださる」(イザ50:4)。ほらイエス、起きなさい。あなたに語ることがある。毎朝のように、父なる神様はまだ早い内からイエス様の目を覚まし、彼と語り合われました(マコ1:35参照)。この祈りの時間に、イエス様はその日に必要な知恵と言葉を与えられ、新しい力に満たされて、また1日の働きに出て行かれたのです。イエス様の人生は、私たちの模範です。

「打ち合わせもしないのに、二人のものが共に行くだろうか」(アモ3:3)。今日一日を、イエス様と共に歩みたいと思いますか。彼に喜んでいただける一日を送りたいと望みますか。もしそうであったら、毎朝一日を始める前に、イエス様との「打ち合わせ」の時間を、1時間とはいいません。祈りのうちに始めてみてください。「さあ、起きて。あなたに語ることがたくさんある。」と、あなたとの交わりを心から望んでいるイエス様の存在に、必ず気付くはずです。

学期も終わり、3ヶ月にわたるプロジェクトも終了しました。ですが、An hour a day on Jesusの習慣は今も変わらず続けています。
なぜかって?それは、あなたも経験してみれば分かります。

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